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2025.07.20
7月 写経会 2
本日は今月2回目の写経会が御座いました。
梅雨明け宣言もされて酷暑でしたが
午後3時から4時30分ころまで
お二人お集まりくださり、心静かに写経をしていただきました。
写経を1時間していただき、茶礼をします。その際に前回から建長寺開山大覚禅師(蘭渓道隆)が『般若心経』の注釈書として伝わる「注心経」を読んでいます。前回は「摩訶」でしたので、今回は「般若」をご紹介しました。
原文は漢文ですので、訓読・現代語訳・語註した資料を配りました。
大分専門的で理解しにくいかも知れませんが、このような「般若心経」の注釈書があると、言葉の理解の一助になればと思います。
『般若』
【訓読】
般若。
般若とは梵語、此に智慧と曰う。諸の境界を逐うて心真に背くが故に、本来無我を知らず。我は即ち愚痴の全体なり。愚痴を離れるを智と謂い、其の方便有るを慧と謂い、智は慧の体、慧は智の用なり。衆生本来具足す。三世諸佛、歷代の祖師、天下の老和尚、之れを繇(もち)いて妙用を施し神通を現し喝を下し棒を行ず。真般若は文字に非ず、蠢動含霊本来真性なり。即今且く道え、那箇か是れ般若。良久して曰く、「日面仏月面仏」。
【訳】
般若。
般若とは梵語で、「智慧」と称す。(見たり聞こえたりする)さまざまな対象に心が求め随ってしまい、心は(自分の中に在る)真実に背いてしまうから、本来は「無我」であることを知ることができない。「我」は即ち「愚痴」の総体である。「愚痴」から離れることを「智」と称し、その手段を有効に用いることを「慧」と称し、「智」は「慧」の本体、「慧」は「智」の作用である。衆生は本来生まれながらにこの智慧を十分に具えている。三世(過去・現在・未来)の諸もろの仏様、歷代の祖師様、天下の老和尚様たちは、これ(本来具足の智慧)を用いて自由自在な絶妙なハタラキを衆生に施してくださり、神通(一般の人間の能力を超えた自由自在の活動能力)を現して、「喝」を叫び、棒を振り本来具足のハタラキを示す。真実の般若は文字ではない、一切の生き物は本来生まれながらに真性(真実の本性)があるのだ。今すぐにさあ言え、一体どれが「般若」なのか?
ややしばらくして言うには、「日面仏月面仏」と。