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2024.02.09

福岡・佐賀地方 建長寺調査

本日から二日間、博多と佐賀県小城市の寺院へ建長寺開山大覚禅師の関連調査へ行ってまいりました。

本山建長寺ご重役、調査員さんと

早朝出発し午前九時に博多空港到着。

まずは、臨済宗開祖栄西禅師が創建した聖福寺を参拝いたしました。

聖福寺は

福岡市博多区御供所町にある臨済宗妙心寺派の寺です。

山号,安国山。建久六年(1195)源頼朝の開基です。日本最初の禅寺と称されています。

 

見えにくいですが、

三門に「扶桑最初禅窟(ふそうさいしょぜんくつ)」と書いてある扁額が

掛けられたいます。

元久元年(1204年)後鳥羽天皇から賜った額です。

 

開山の栄西禅師は貿易の要所であった博多から二度、中国(南宋)へ渡来しました。

まだ日本に伝来していない、お釈迦様の重要な教えを学ぶためです。

そして、「禅」の真髄を習得して帰国しました。

帰国後に、幕府の源家、北条家の庇護をうけ、臨済宗の博多聖福寺、鎌倉寿福寺、京都建仁寺を建てたのです。

しかし、禅宗を説くことは難しかったようで、比叡山などから弾圧を受けます。栄西はもともと比叡山の僧侶でもあったので、迫害を受けないように禅宗かたよらず、天台の教えもする兼修禅と呼ばれるものでした。

栄西禅師から50年経つ頃に、この九州博多に日本の仏教、禅に大きく影響を与えた人物・建長寺開山大覚禅師蘭渓道隆が南宋よりやってきました。

 

聖福寺から車で30分ほど、博多湾を望む場所にある臨済宗大徳寺派勝福寺へ参りました。

ここは、大覚禅師が創建した寺院と伝わっております。日本に到着後、間もないころに創建したと考えられます。

勝福寺には国重要文化財の「絹本著色大覚禅師像」があり、曲彖(椅子)に座る禅師が描かれています。

木造の大覚禅師坐像も本堂に鎮座されていました。

よく、建長寺でお見掛けするお像と異なり、ややふっくらして若々しい大覚禅師像でした。

私にとって初発見の情報として勝福寺歴代住持では

開山が大覚禅師蘭渓道隆

第一世が葦航道然で、

第二世が若訥宏辯でした。

葦航道然は信濃出身で大覚禅師の高弟です。後に建長寺、円覚寺の住職もしています。

若訥宏弁は、となりの小城市出身の天台僧で大覚禅師が来朝して来られたことをしり、教えを学びに博多に来ました。

そして、大覚禅師にとっても非常に重要で信頼される弟子になったのです。

今回の調査は、若訥宏弁の足跡をしることが大きなテーマです。

その若訥宏弁もこの勝福寺の住職をしていたことを今回知りました。

そして、本日最後はその若訥宏弁が開かれた臨済宗南禅寺派円通寺です。

その前に、勝福寺近くの博多湾沿いのお店で昼食。大変美味しい開先ご飯でした。

腹ごしらえをし、

勝福寺から山を越えて1時間ほどで小城市の円通寺した。

円通寺へ向かい前に、市内にある東正八幡宮側にある原田種直墓所をお参りしました。鎌倉の建長寺ご本尊地蔵菩薩と縁深い方なのです。

 

 

いよいよ円通寺へ。私は、大学時代から建長寺開山大覚禅師の勉強をしていたので、その寺院名と若訥宏弁については知っていました。その寺院へ参拝できる日が来るとは思っておりませんでした。

円通寺では、和尚様と寺庭さまにも大変なおもてなしを賜り、貴重な寺宝を拝見させて頂きました。

 

円通寺は現在臨済宗南禅寺派ですが、もとは650年(白雉元年)に、筑後の郡司だった三池氏により三箇寺として創健された、小城市では最古の寺院です。

前述のように、大覚禅師が博多に来たことを知った若訥宏弁が大覚禅師の弟子となり、三間山円通寺として禅宗の臨済宗にしたのでした。

また鎌倉時代には九州千葉氏の菩提寺として、千葉宗胤(ちばむねたね)によって鎌倉の建長寺をまねてつくられた七堂伽藍がある巨大なお寺となりました。

大覚禅師は、鎌倉に行った後も九州の若訥宏弁に手紙を書き、是非近くに来て協力してほしい旨を書いています。

終生大切な人物だったのです。

夜は嬉野温泉で宿泊しました。

とても雰囲気の良い温泉街で八女茶が美味しく気持ち良い温泉でした。

 

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