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2022.01.11

臨済四喝

臨済宗では「喝」の教えが非常に重要です。

臨済宗のお葬式は、引導を授ける時に導師が故人を弔う法語を述べた締めくくりに「カーーーッ」と「喝」を呈します。

それは開祖臨済禅師が「喝」を多用して弟子たちを指導していたことに由来します。

その臨済禅師には「臨済四喝」の教えがあります。

      有る時の一喝は、〈金剛王宝剣の如く〉。

      有る時の一喝は、〈踞地金毛(こじきんもう)の獅子の如く〉。

      有る時の一喝は、〈探竿影草(たんかんようそう)の如く〉。

      有る時の一喝は、〈一喝の用を作さず〉。

〈金剛王宝剣の如く〉・・・金剛とは非常に硬いダイヤモンドです。強力な煩悩も妄想も砕いてしまう宝刀のような一喝です。世間のしがらみを一気に断ち切ります。

〈踞地金毛の獅子の如く〉・・・踞地とは地にうずくまること、獅子(ライオン)が地にうずくまり微動だにしないようす。このような獅子には恐ろしくて近寄れません。我々を悩ます欲望・煩悩が入る隙もないような一喝です。野干脳裂してしまいます。

〈探竿影草の如く〉・・・探竿とは水の深さを探る竿、影草とは隠れ蓑で、着て身を隠して物を盗み取る道具と説明されます。つまり、この喝で迷う人(修行者)を探り力量を試すのです。修行をしっかりしているか、どのような人物かを見定めるような喝(勘験の喝)です。このような一喝ができる師は相手の素質に応じた巧みな教導ができるのです。

〈一喝の用(ゆう)を作(な)さず〉・・・「喝」と大声一声することのない喝です。(不作用=一喝の機能をはたさない)声に出す喝だけが、教え導くものではありません。私は学校に勤める若輩教師でもあります。熟練の先輩教師に、「生徒たちに注目して聞いてもらいたい重要なことがある時は、グッと黙って生徒たちの前でただ立っているだけがよい。みんなお喋りを止めて、集中して先生を見るようになる」と教わりました。一喝の用を作さず、言葉なしに姿からでも重要な教えを伝えることができるのでしょう。

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