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境内施設一覧

本堂

福厳寺の創建については、今から八百年以上前、寿永元年(1182年)四月、足利又太郎忠綱の本願により建立されたとの説があります。

禅宗寺院となったのはその後のことで、南北朝時代・康永二年(1343年)に建長寺開山大覚禅師三世の法孫實堂権和尚を開山として迎え、以後六百五十年以上禅宗寺院として歴史を刻んできました。

本堂の歴史は福厳寺五世賢翁和尚の代(明応年間、1490年頃)再建された記録があります。

現在の本堂は文政十一年(1828年)に建てられたものです。明治二十五年(1892年)、二十四世玉潭龍和尚の頃、屋根の修理がなされましたが、その後の大正六年(1917年)に二十六世福山文應和尚により茅葺屋根から瓦葺屋根に改修された経緯があります。

そして平成八年に本堂裏土留め工事、屋根総替え、回廊、位牌堂増築の大改修を行い、翌年十月十九日に落慶法要を大本山建長寺吉田正道管長猊下導師の下で厳修致しました。

ご本尊は「釈迦牟尼如来」(お釈迦様)であり、檜材寄木造りの禅定印を結ぶ坐像です。室町時代十五世紀頃の院派系仏師の作と推定される仏像です。中世にさかのぼる点で貴重であり、平成九年に足利市重要文化財に指定されました。




セキ地蔵~セキに苦しむ身体を癒やす~

参道の石段を登ると本堂左手前に延命地蔵堂があります。当山二十六世・文應和尚の代に建立され、堂内には石のお地蔵様が祀られていましたが建物が老朽化したため、平成28年12月に新しく建て替えられました。(現住職二十八世・良俊和尚代)
このお地蔵様は、足利公園入口付近の畑の中から掘り出され、明治の初めに福厳寺に安置されたものです。

今回の工事の為にお地蔵様を移動したことで、お地蔵様の足元(台座)に彫り刻まれた文字が発見されました。
そこには、お地蔵様の開眼供養が宝永6年(1709)10月に行われたこと、その開眼の頌とともに、協力した多くの施主の方々の名前が記されておりました。このお地蔵様の由来を知るうえで貴重な発見となりました。
いつ頃から『セキ地蔵』と呼ばれるようになったのは不明ですが、呼び名の通りセキ止め、喘息(ぜんそく)除けに効験があると広く語り継がれるようになりました。
セキ止めをお願いするときは、お参りをしてからお地蔵様に掛けられた「タスキをお借り」していきます。無事に病が癒えたら再びお地蔵様の肩に「タスキを返す」ということです。そのご利益で子供の百日咳が癒えるという言い伝えから子供連れの母親や、喘息を患って悩んでいるお年寄りなどで大変賑わったそうです。
足利へ反物を仕入れに来られた問屋さんたちの口コミで広まったようで、関西方面、四国からもお地蔵様のタスキを借りに来る方々が大勢あったそうで、戦前の織物が盛んだった頃の様子がうかがわれます。
現在も「タスキ」がお地蔵さまに掛けられておりますので、セキ止めの願いがある方はお参りをして「タスキ」をお借り下さい。無事に癒えましたならお地蔵さまにお返しください。

今回の工事の為にお地蔵様を移動したことで、お地蔵様の足元(台座)に彫り刻まれた文字が発見されました。
そこには、お地蔵様の開眼供養が宝永6年(1709)10月に行われたこと、その開眼の頌とともに、協力した多くの施主の方々の名前が記されておりました。このお地蔵様の由来を知るうえで貴重な発見となりました。




六地蔵・水子地蔵

福厳寺の六地蔵はいつ頃作られたのかは不明でありますが、珍しい木彫彩色のお地蔵様(地蔵菩薩)です。お顔も分からない程に老朽化していたのを1988年に修復いたしました。

お地蔵さまは、人間世界だけではなく“六道”と呼ばれる我々が輪廻(りんね)している六つの世界~地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上~に於いて全ての悩み苦しむ人々を救って下さる菩薩様であると信じ続けられ、古来より六体の地蔵として造られ人々の礼拝の対象となってきました。

幼くして死んでしまった子供が行く所といわれる冥途(めいど)の三途の川・賽(さい)の河原では子供は父母の供養の為に小石を積み上げて塔を作ろうとしますが、鬼に崩されてしまいます。そこにお地蔵様が現れて子供を救うという伝説から、子供の守り本尊として広く信じられておりますが、先述のように、生きとし生ける皆を救って下さる菩薩様でもあります。

福厳寺には水子地蔵様も安置されておりますので、お寺での「水子供養」もしております。本堂にて読経を行い、塔婆にてご供養をいたします。

ご希望の方はご不明な点などお気軽にお問い合わせください。


救世観世音菩薩

本堂手前には平成二年九月に福厳寺檀信徒である金井敏夫様・隆司様が施主となられ、顯徳院興道嘉禎居士(俗名金井嘉一郎殿)の菩提・冥福を願う為に建立されました。

救世観世音とは観世音菩薩(観音さま)の称号です。胸の前で手を合わせ、災禍を防ぐ徳を持つとされる宝珠を持ち、世の人々を苦しみから救いだして下さることからこの名で呼ばれております。

この救世観音菩薩の原型制作者は足利市出身で東京美術学校彫刻科を卒業され、パリに留学後、東京芸術大学教授を務められていた新井喜惣次氏です。

観音様の美しく気高いお姿で足利の街並みを望まれながら、世の中の音を観、人々の声を聞かれ、世間の苦しみを救って下さる有り難い仏様です。




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